東大生が遊郭に溺れすぎて問題に!?明治時代まで東大の側にあった「根津遊郭」とは
Japaaan読者の皆さんこんにちはんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は東大生もハマった根津遊郭についてご紹介します。
根津遊郭とは、その名の通り江戸末期〜明治初期にかけて根津(現在は東京都文京区の一部)にあった遊廓です。
根津遊郭の歴史
江戸時代前期の1706年、根津神社の社殿新造のため集まった大工や左官ら職人相手の居酒屋ができ、女性に接客させるようになったのがはじまり。
それがだんだん神事に関わる大工さん達相手に・・・・・・というところが、それってアリなの!?と思っちゃいますが、やがて遊郭にまでなるのですから需要が高かったんでしょうね・・・・・・。
やがてはその場所が私娼の集まる岡場所(非公認の遊廓)にまでなりました。
禁止されてもしぶとく営業!
1842年(天保13年)、水野忠邦による天保の改革によって根津での営業は禁止され、他の岡場所と同じように新吉原に移されたましたが、一回根の張った岡場所はとにかくしぶとい!
実際の営業はちゃっかり根津でも続いていました。
幕末の慶応年間には江戸幕府陸軍奉行の許可を得てついに「根津遊廓」という正式名を冠し、ますます栄えたのです!
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