日本もアメリカ本土を攻撃していた…知られざる太平洋戦争時の「爆撃合戦」
4回にも及ぶ「本土攻撃」
先の太平洋戦争で、日本はアメリカをはじめとする連合国軍に最終的には敗北することになりました。
現代の目線では、あの戦争は「兵力面で格段に優れているアメリカに、日本が戦いを挑んだ愚かな戦争」というイメージで語られることが多いのですが、しかしつぶさに見てみると、徹頭徹尾日本が不利で劣勢だったわけでもありません。
例えば、開戦してから半年くらいの間は有力な空母機動部隊を持っており、太平洋から連合国の艦船をほぼ駆逐するほどの快進撃を見せています。
戦争そのものについての、今の時代から見た良し悪しはさておき、このあたりの「戦史」は見ていて単純にわくわくするものがあります。
もっとも、その後のミッドウェー海戦では虎の子の機動部隊空母4隻すべてを失う結果となり、このあたりから日本の敗走が始まるのですが……。
ともあれこのように、日本も決して何から何までアメリカに劣っていたわけでもないのです。あまり知られていませんが、実は日本は、アメリカの「本土攻撃」も行っています。
ほとんど知られていないことですが、旧日本軍は、アメリカ本土を4回襲撃しています。このうち1回は、後にも先にも、アメリカと交戦したどんな国もなし得なかった「本土空爆」でした。
まず最初の本土攻撃は、潜水艦による製油所への砲撃でした。パール・ハーバーへの攻撃から3ヶ月が経った1942(昭和17)年2月23日の夜に、日本軍潜水艦「伊17」が、カリフォルニア州サンタバーバラ近郊のエルウッド製油所を攻撃したのです。
放たれた砲弾は20発。ただ、一部の施設を破壊したのみで、大きな被害は出ていません。この攻撃は、純粋に破壊や殺戮が目的だったのではなく、早期講和に向けた「脅し」「揺さぶり」だったのではないかと考えられます。
砲弾も大した数ではなく、不発に終わったものも多くありました。またアメリカの試算によると、この時の被害総額はなんと「500ドル」だったとか。
とはいえこの攻撃により、カリフォルニア市民はおびえました。州はロサンゼルスとサンディエゴに灯火管制を敷き、日本からの攻撃に備えたといいます。