重要文化財の運送レポ!日本有数の名品が、運送業者に運ばれる一部始終に潜入レポ!
日本の美術や文化が好きな方の中には、美術館や博物館で展示されている仏像を見たことがある方も多いでしょう。そんな仏像たちは、お寺からそこまで「運搬」されてやってきます。
今回は、国の重要文化財に指定されている仏像の、貴重な「搬出現場」に立ち会うことができたので、レポートをお届けします。
日本有数の美品とされる聖徳太子像
取材に向かったのは、茨城県水戸市にある浄土真宗のお寺「善重寺」。こちらの太子堂に祀られている「聖徳太子童形立像(孝養像)」が今回の主役です。
約1.3mの大きさで凛々しい表情が印象的。若々しくみえるのは聖徳太子がまだ少年の面影を残す16祭当時の姿であるためです。
鎌倉時代に作られ、およそ800年ほど歴史を刻んでいるにも関わらず鮮やかな彩色がしっかりと残っています。これは、この像が聖徳太子の命日である2月22日のたった1日だけ、しかも1時間しかご開帳しない「秘仏」であるのも一因です。
お顔を見ていると、強い意志を感じる目に吸い込まれそうになりますが、これは眼球を描いた和紙を張った水晶を目の部分にはめ込む「玉眼」という技法のなせる技。
あらゆる部分に心地よい緊張感のみなぎった素晴らしい像で、数ある日本の聖徳太子像の中でも最も美しいと評する専門家もいるほどです。
この像が国の重要文化財に指定されているのは、このような美術的観点からだけではなく歴史の中でも重要な意味をなしているからでしょう。
今では、大切に祀られ守られている聖徳太子像ですが、江戸時代には荒れたお寺に置かれていました。それを、ここ善重寺に移して篤く祀ったのが水戸黄門としておなじみの水戸光圀公だったのです。
それによって安住の居場所を見つけたように思われた聖徳太子像ですが、幕末には善重寺も世の動乱に巻き込まれることになります。
それでもなんとか戦災を免れた聖徳太子像のために太子堂が作られることになり、中心となった人物こそ、あの渋沢栄一。
日本最初の一万円札の肖像画である聖徳太子像を、のちに一万円札の肖像画になる渋沢栄一が保護しようとしたのは不思議な縁を感じますね。