徳川家康は未亡人がお好き!?あの春日局とも深い仲だったという珍説まで
徳川幕府を開き、戦国時代を終わらせた徳川家康。天下人として圧倒的な知名度を誇る家康には、後家好きという一面がありました。
最初の側室は正室の侍女だった
家康が最初の結婚をしたのは、16歳のころ。相手は今川義元(いまがわ よしもと)の姪とされている築山殿(つきやまどの)です。
家康よりも8歳は年上だったといわれる築山殿は、後世では悪女との呼び名があります。当時、家康は今川家の人質だったことから、年下の夫を見下していたとも傲慢に接していたともいわれています。
そして、家康が最初に側室にしたのは、この築山殿の侍女でした。なので、それなりにゴタゴタしたのではないかなと想像できますね。
名前を小督局(こごうのつぼね)といい、出戻りで築山殿に仕えていた27歳のころ家康の側室になっています。
この側室はかなり奔放だったみたいで、家康も彼女には苦労させられたそうです。そのため、小督局以降の側室は大人しい女性に惹かれるようになったとも。
後家ばかりの家康の側室
家康が最も寵愛した西郷局(さいごうのつぼね)は、3男・秀忠、4男・忠吉の生母です。彼女が家康の側室になったのは17歳のころでしたが、このときすでに未亡人。
5男・信吉の生母である下山殿は、武田の姫の身代わりとして家康に差し出された気の毒な女性です。夫と離縁させられて家康の側室になった下山殿は、かなり美しかったといわれています。
6男・忠輝と7男・松千代の生母は、茶阿局(ちゃあのつぼね)です。理不尽に殺された夫の敵を討ってもらおうと、鷹狩りをしていた家康に直談判するほど行動的な女性。そして美人ということで、家康に目を付けられます。家康が亡くなったとき、唯一 死に水を取った側室とのこと。
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