ついに帰国へ…。10年に及ぶ過酷なサバイバル生活。江戸時代の漂流民大黒屋光太夫の生涯その5:2ページ目
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日本でのその後の生活
日本に還ったものの、年長の小市は根室で壊血病のため死去。残る光太夫と磯吉は無念な思いを胸に抱えつつ、江戸に送られました。彼等は11代将軍徳川家斉に謁見し、10年に及ぶ漂流生活の詳細と、日本をとりまくロシアほか海外諸国の情勢を語りました。
幕府は2人がもたらした情報を受け、海外諸国に対して防衛意識を強めたといいます。2人は聞き取り調査ののち、小石川の薬草園内に住まいを与えられ、そこで新しい妻を娶って生涯暮らす事になりました。
2人を解放してしまうと、彼等が10年に渡って見聞きしたロシアの情報が周りの人々に漏れて鎖国政策に悪影響を及ぼすと考えられたのと、いざという時には彼等をロシアとの通訳に利用したいという幕府の思惑がありました。
ただし、伊勢に帰りたいという2人の願いは一応聞き届けられ、1度だけ2人は伊勢への帰省を許されたといいます。
反対に、江戸に家族が訪ねてきた事もあったようです。
その後、 大黒屋光太夫は文政11年(1828)に78歳(年齢は数え年)で、磯吉はその10年後、75歳という長寿で生涯を閉じました。どんな状況でも絶望せず、強い意志をもって行動したからこそ迎えることのできた、祖国日本での穏やかな最期でした。(終)
参考文献:山下恒夫 『大黒屋光太夫―帝政ロシア漂流の物語』岩波新書
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