帰国は許されるのか…?10年に及ぶサバイバル生活。江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯 その4:2ページ目
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女帝エカチェリーナ2世に拝謁
ようやく一筋の希望が見えてきた寛政3年(1791)正月明け、生き残った仲間の中では一番年上だった九右衛門が病死。悲しみを堪えて、光太夫はラックスマンに伴われてペテルブルクに向け出発します。
途中、ラックスマンの大病で思ったように旅程が進まず、5月にようやく女帝の居る避暑地ツァールスコエ・セロの宮殿に到着。そして運命の6月28日、ついに光太夫は女帝エカチェリーナ2世に拝謁したのです。
「可哀想に…」。
これがエカチェリーナ2世が光太夫の話を聞いて初めに発した言葉でした。彼女は光太夫の漂流話に深い同情と興味を示し、決められていた時間を大幅に超えても質問を続け、8年間の出来事を詳らかに話させました。そして後日、今まで帰国嘆願を握り潰していた官人を探し出して罰したのでした。
エカチェリーナ2世は7月の下旬にもう一度光太夫を招き、彼の口から更に詳しく漂流話を聞きました。光太夫は求められるままに仔細を話したほか、この機を逃すまいと、帰国の意思を精一杯主張しました。果たして彼らの帰国は許されるのでしょうか…?
参考文献:山下恒夫 『大黒屋光太夫―帝政ロシア漂流の物語』岩波新書 岩波書店
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