何が何でも帰国しなければ…10年に及ぶサバイバル生活。江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯 その3:2ページ目
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イルクーツクにて…
到着したイルクーツクでショッキングな出来事が起こります。仲間のうち、庄蔵という青年が移動中に凍傷にかかり、片脚を切断してしまったのです。更には一縷の望みでシベリア総督府に2度帰国嘆願書を提出しましたが、一度は返事が来ず、ようやく来た返事は「帰国は諦め、日本人学校の教師になれ」という残酷なものでした。
ロシアは光太夫らを日本語教師として学校を開き、日本語の通訳を育成して日本に交易を求めようと考えていたのです。日本語教師を受けたら最後、死ぬまでこの地で教師として生涯を送るしかない。そして鎖国のために自国を取り巻く世界情勢をよく知らない日本は、世界各国の野望に飲み込まれてしまうかもしれない…。
光太夫はこの国難を日本に知らせるためにも、何が何でも帰国しなければならないと思い始めます。こうした考えから彼は日本人学校の話を断り、漂流話を聞きたがるイルクーツクの上流市民らの晩餐会に毎晩招かれ、地道にコネクションを作り続けました。
そんな中、キリル・ラックスマンという人物を紹介されます。
参考文献:山下恒夫 『大黒屋光太夫―帝政ロシア漂流の物語』岩波新書 岩波書店
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