10年に及ぶ過酷なサバイバル生活。江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯 その1:2ページ目
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過酷な漂流生活
その後、光太夫たちを乗せた神昌丸は8ヶ月もの間、北太平洋を漂流しました。御用米がたくさんあったため飢えはしなかったものの、やがて飲み水が底をつき、17人を苦しめました。
彼らはふらふらの体で樋を作り、酒樽の酒を捨てて空にしては雨水を集め、なんとか飲み水を確保して生き延びようとしました。それでも栄養不足は解決出来ず、乗組員たちは夜盲症になり、夜暗くなるとほとんど目が見えなくなりました。
天明3年7月15日、ついに死者が出ました。幾八という乗組員が、顔はどす黒く、手足は紫になって浮腫み、歯茎が腐り、ひどい下痢に苦しんで死んだのです。ビタミンCの欠乏から各器官が弱って出血し、死に至る壊血病でした。
一同は幾八を泣く泣く海に葬り、明日は我が身と希望を失いかけたその5日後、ついに夢にまで見た陸地が見えてきたのでした…!
参考文献:山下恒夫 『大黒屋光太夫―帝政ロシア漂流の物語』岩波新書 岩波書店
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