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元々は幕末の尊王攘夷志士?新一万円札の顔「渋沢栄一」の生涯を解説 その1

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元々は幕末の尊王攘夷志士!?

渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日、武蔵国(現在の埼玉県深谷市血洗島)の豪農の家に長男として生まれました。家業を手伝う傍ら、父から「論語」など一通りの教育を受けて育ちます。

栄一が青年になる頃、時勢は幕末に突入。若く血気盛んな栄一は従兄たちとともに「尊王攘夷」運動に参加し、高崎城の乗っ取りを計画しますが実際には実行されませんでした。かなりやんちゃだったのですね・・・。

しかし、栄一が京都に向かった矢先、運命は急展開します。ひょんな縁から、一橋慶喜、なんとのちの15代将軍・徳川慶喜に仕えることになったのです!

一橋家に雇われて運命急展開

慶喜に雇われた栄一は一橋家の家政の改革などに乗り出し、着実に結果を出して次第にその存在を認められてゆきました。

そして27歳の時、慶喜の弟の徳川昭武(とくがわあきたけ)を筆頭としたパリ万博使節団の1人に選ばれて、パリの万国博覧会見学に随行。この時栄一は、西洋諸国の進んだ近代産業や文化、社会について詳しく学ぶことができたのです。

一方その頃日本では・・・。なんと明治維新が起き、徳川家、とくに栄一が仕える徳川慶喜の立場は時の将軍から賊軍の長に没落し、運命が180度変わる大変な事態となっていました・・・。

幸か不幸か、幕末の動乱には巻き込まれず、維新後のタイミングで帰国した栄一。彼の運命やいかに。

(その2につづく)

 

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