仇討ちに決起した女武者「坂額御前」の武勇伝!鎌倉時代の建仁の乱で活躍(中):2ページ目
いざ挙兵!仇敵めがけて殴り込む
さて、京の都に到着した長茂らは正治三1201年1月23日、大番役(おおばんやく。警護役)として赴任していた小山小四郎左衛門尉朝政(おやまのこしろう さえもんのじょうともまさ)の宿舎を襲撃。
朝政は景時の追放・暗殺に深く関与しており、まさしく「恩人の仇」でしたが、長茂らが三条東洞院にあった朝政の宿舎に殴り込むと、あいにくの不在でした。
早くも出鼻をくじかれた長茂らは、腹いせに留守番の家来たちと一戦交えてから天皇陛下(土御門天皇)のおわす仙洞御所へ乗り込み、四方の門を閉じて立て籠もりました。
「畏れながら申し上げます!無実の罪で殺された梶原景時殿の仇を討つため、鎌倉におる逆賊どもを成敗する勅許(ちょっきょ。天皇陛下の許可)を下さいませ!」
しかし、長茂の訴えも虚しく勅許は下らず、このままでは勝ち目がないため、朝政らが戻って来る前に清水坂(きよみずざか。現:京都市東山区)辺りに潜伏。ゲリラ戦に持ち込んだのでした。