この差はなぜできた!?江戸の将軍は15代続き、鎌倉の将軍はわずか3代で断絶!:2ページ目
鎌倉幕府の将軍が3代で終わった原因
鎌倉幕府の将軍の嫡流がたった3代で途絶えてしまった原因は、「鎌倉右大臣」としても知られる3代将軍・源実朝に実子がなかったためでした。実朝は兄・頼家の子で甥にあたる公暁を猶子(兄弟・親類や他人の子と親子関係を結ぶこと)として迎えていましたが、なんとその公暁に暗殺されてしまったのです。
これ以前にも、幕府内での内紛は絶えず、一触即発の状況が続いていました。幕府が成立したとはいえ、鎌倉時代はこのような武力による紛争が絶えない時代だったのです。
源頼朝の妻・政子の実家である北条氏により執権政治が確立されましたが、その後も元寇があり、また後醍醐天皇による倒幕運動もあり、ついに元弘3/正慶2(1333)年5月、鎌倉幕府は滅亡してしまいます。
もし、鎌倉幕府の将軍がしっかりとした後継者を確保できていたら、歴史は変わっていたかもしれませんね。