記録が少ない江戸時代のレズビアン事情…女性の同性愛の環境はどのようなものだったの?:2ページ目
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また、先に掲載した浮世絵と同じく、以下の作品も、一方の女性が男性器を模したアダルトグッズを装着し行為に及んでいるのですが、こういった器具が存在する時点で、一定数の需要はあったことがわかるわけです。(当時、アダルトグッズは海外からの輸入が多かったようです)
ではなぜ書物や浮世絵にはレズビアンに関連した記録が少なかったのでしょうか?
男はレズビアンの恋愛描写に興味がなかった?
ひとつは、江戸時代の文筆家や絵師はほとんどが男性で、女性は少なかったため、単純に女の園の隠された恋愛を知るものが少なく、書物に記録されることが少なかったということが考えられます。
また、浮世絵は需要のある題材を版元が絵師に依頼し制作するわけで、男性の数が多く男社会、さらには男色が現在よりもオープンであった江戸では、レズビアンの恋愛描写を好む者が少なかった。単純に関心がなかったことも理由の一つにあげられるでしょう。
もちろん、先に掲載したような浮世絵作品があるように、レズビアンの浮世絵や書物がまったく存在しなかったわけではありません。ちなみに女性同士の恋愛を文献に見ることができるのは、鎌倉時代に成立した擬古物語「我身にたどる姫」が最初と言われています。
大奥や遊郭、女郎のような場所的な事情で女性同士の恋愛を楽しむ人もいれば、生まれつきにして同性を愛する人もいたことでしょう。
現代では同性愛に対する偏見や差別が世界的に改善される傾向にあり、同性愛者であることを堂々と言えるあたりまえの環境が整ってきています。「同性愛者はこんなに多かったんだ」と感じている人もいると思いますが、江戸時代にも、今に残る文献への記録が少ないだけであって、同性愛者の数は現代と同じような割合だったのかも知れませんね。
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