島ではないのに「広島」とはこれ如何に?意外な人物が関わっていた、地名からみる広島誕生:2ページ目
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もともと輝元は、現在の安芸高田市にあった吉田郡山城を居城といていました。ところが、町と一体化した城の必要性を痛感し、築城場所を部下に検分させて造られたのが現在、史跡にも指定されている広島城です。
広島城の築城をきっかけに広島は城下として西国一の賑わいを見せ始めます。その頃から太田川下流域の干拓が進められ、さらに明治以降、中小河川が埋め立てられて現在の広島の地形が形成されていきました。
その後、太平洋戦争中に原爆投下を受け、広島市街地は草木一本はえないほどのダメージを受けてしまいますが、人々の努力によって復興し、三角州から始まったこの地域は現在120万もの人々が暮らしている大都市へと成長しました。
島ではないのに「島」とつく広島。元々は、三角州から由来しているのですね。
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