幕末の蘭学者・緒方洪庵(おがた こうあん)が大坂に開いた塾といえば、適塾(てきじゅく)。
緒方洪庵は備中(岡山県)の足守藩士の三男で、文政2(1825)年父が大坂蔵屋敷の留守居役になったのがきっかけで、大坂に出てきました。そして、その翌年、蘭学の修行をスタート。
天保2(1831)年には江戸に移り、蘭学医・坪井信道の塾に入ります。翌年には、翻訳書「人身窮理学」を完成。当時有名だった蘭学医・宇田川玄真の所にも出入りするように。
そして…ついに、天保9(1838)年に適塾を開くのです。
適塾は、基本的に蘭方医学の塾ですが、医学に限定していません。オランダ語を通じて、当時の西洋の知識や技術を学ぼうというのが、真の目的でした。
この塾に一冊しかなかったという辞書「ヅーフ波留麻」は、みんなで奪い合うようにして、見ていたそう。この辞書で、きっといろんなことを学んでいたのですね。適塾に入門したいと、日本全国から多くの人がやってきました。北海道から鹿児島までというから、日本中で有名だったことがうかがえます。