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悲劇の聖女・井上内親王の伝説。謀略と裏切り、理不尽な死からまさかの結末!?

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怨念で竜に変身!?暴風雨と名誉回復

しかし、話はまだ終わりません。

井上内親王と他戸親王が亡くなって四か月後の宝亀六775年8月、伊勢(現:三重県)と尾張(現:愛知県西部)、そして美濃(現:岐阜県南部)を暴風雨が襲い、伊勢の神宮にも大きな被害が出ました。

こういう場合、通常なら伊勢国司が修繕費用を負担するのですが、この時ばかりは被害が大きかったため、朝廷から修理使が派遣されました。

これは事態を重く見た朝廷が、かつて斎王として神宮にお仕えしていた井上内親王の怨霊を鎮めるためとも言われ、『帝王編年紀』や『一代要記』など平安時代の記録には、井上内親王が竜に化けて暴れ回ったと伝えられます。

そんな祟りも続いてか、宝亀八777年には井上内親王の墓が立派にリニューアルされたのをはじめ、彼女の名誉回復キャンペーンが展開されます。

最終的には延暦十九800年、井上内親王は再び皇后の位に復帰されています。

と言っても光仁天皇はとっく(天応元782年12月23日)に崩御され、皇位は山部親王(桓武天皇)が継承していましたが、今さらでも何でもご機嫌をとらねばならないほど、井上内親王が恐ろしい怨霊となっていたことがわかります。

しかし、その息子である他戸親王についてはなぜかそのままとなっています。

当初は「井上内親王の子供だから」という理不尽な理由で罪に落とされたはずが、時代が下って平安時代ごろには「むしろ息子の悪行が母親の冤罪につながった」という見方が強まり、他戸親王にとってはいい迷惑ですね。

まとめ

幼くして神に仕え、苛烈な権力抗争の中でパートナーと巡りあうも側近たちに裏切られ、非業の死を遂げた後は怨霊となって復讐を遂げ、名誉を回復した井上内親王。

現在、彼女の御魂は奈良県五條市の御霊神社をはじめ、各地の御霊神社で他戸親王らと共にお祀りされています。

彼女たちが安らかであるよう、そしてより多くの方に心を寄せられるよう願っています。

※参考:榎村寛之『斎宮 ―伊勢斎王たちの生きた古代史』中公新書

 

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