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たとえ右目に矢が刺さろうとも――武士が生命より大切なもの、鎌倉権五郎景正の武勇伝

たとえ右目に矢が刺さろうとも――武士が生命より大切なもの、鎌倉権五郎景正の武勇伝

武士の本望と尊厳

「武士が矢に当たって死ぬのは本望(仕方ない)。だが、顔を土足で踏まれるのは耐え難い恥辱。かくなる上はお前を斬る!」

たとえ自分の生命が危機にあろうと、武士の尊厳はそれ以上に大切なもの。

これには平太郎も返す言葉がなく、

「お前の言い分はもっともだ。助けたい一心で無礼をしてしまった事は許して欲しい。ともあれ矢を抜かせておくれ」

と謝って、今度はきちんと右目の矢を抜いてあげたのでした。

死後は「目の神様」として

さて、権五郎のエピソードは武士の鑑(あるべき姿)として広く世に語り継がれ、鎌倉へ凱旋した権五郎は相州の開拓に尽力。伊勢の神宮に大庭御厨(おおばのみくりや)を寄進しました。

御厨とは、簡単に言うと神様にお供えするための作物をとるための土地で、その代わりに年貢が免除されるシステムです。

神様のご加護をもって相州に勢力基盤を築いた権五郎ですが、その没後は「源正霊神(げんしょうれいじん)」という神様としてお祀りされました。

現在、権五郎は鎌倉・藤沢など各地の「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」などにお祀りされ、右目に矢が刺さっても怯まなかった強さから、目の病気を治してくれる霊験あらたかな神様として崇敬されています。

その後・鎌倉一族の挽歌

その後、権五郎の子孫たちは頼朝公の挙兵を前に分裂し、頼朝公に刃向かった者は滅ぼされ、従った者もやがて鎌倉を去っていくことになります。

敗者は歴史を語れませんが、かつて鎌倉を拓き、代々治めてきた鎌倉一族について興味関心を持って頂けましたら幸いです。

 

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