両者の耳と鼻を削ぐ!?戦国時代はケンカも過激、武田信玄「喧嘩両成敗」の実例と精神:2ページ目
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かくして定められた「喧嘩両成敗」
さて、そんな事があって、その年(天文十六年)の6月に信玄公の定めた甲州法度の第十七条には「喧嘩両成敗」の項が盛り込まれた、と『続武将感状記』は伝えます。
喧嘩之事不及是非可加成敗但雖取懸於令堪忍之輩者不可處罪科
(意訳:喧嘩した者は理由を問わず成敗=処罰せよ。しかし、挑発されても我慢した者は無罪とせよ)
喧嘩をした者は、理由を問わず全員同じく処罰する。
平時ならともかく、戦場では喧嘩が起きると、それが陣中の大混乱に発展するリスクも高く、いちいち取り調べていられない事情があります。どちらも同罪!で即座に収拾するか、さもなくば両方とも斬らねばなりません。
先ほど紹介した赤口関&寺川の喧嘩は、平時だから耳と鼻で済ませた(少なくとも信玄公は)のでしょうが、これが戦場であればやはり斬り捨てていたものと思われます。
武士の喧嘩と「両成敗」の精神
武士にとって喧嘩とは(仲裁を期待するような)パフォーマンスではなく、勝っても負けても死を覚悟すべき闘争に他なりません。だからこそ軽々と武力に訴えるべきではなく、常に死を念頭に置けばこそ、互いに敬意を払い、思いやる道徳が生まれます。
その一方で「軽々に手が出せない」のをいいことに、相手を侮辱・挑発する輩がいるのは、今も昔も変わりません。斬られこそしないものの、生活や社会的立場ゆえに手が出せない相手に対して、実に卑怯な振舞いが横行している昨今の社会を、信玄公が見たらどう思うでしょうか。
誰かを傷つける者は、自分も傷つく事を覚悟しなくてはならない。無益な争いを防ぐ「喧嘩両成敗」の精神が改めて見直される事を願っています。
※参考文献:菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書
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