現役中に死亡した力士も?横綱の土俵入り不知火型(しらぬいがた)の短命ジンクスはどこから生まれた?:2ページ目
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期待されていたのに…現役中に死亡した不知火型の横綱
横綱昇進時の審議委員会の評価は北の富士を上回り「大横綱・双葉山の再来か!?」とまで期待されていた玉の海。
しかし1971年7月場所で全勝優勝した前後に、彼は虫垂炎を患います。
虫垂炎と言えば、まず思い浮かぶ症状は「尋常ではない激しい腹痛」。横綱としての責任感が強かった玉の海は、注射で散らしながら9月場所と10月の大鵬の引退相撲に強行出場し、その後手術のため入院しました。虫垂炎は既に腹膜炎寸前まで進行した危険な状態でしたが、手術は無事に成功し、術後の経過も順調でした。
しかし退院を翌日に控えた10月11日の早朝に容態が急変、そのまま亡くなってしまいます。死因は、手術後に併発した肺血栓症でした。
「現役横綱が死亡」の突然の知らせに、日本中の誰もがショックを受けました。最大のライバルだった北の富士は巡業先で彼の訃報を聞き、最初は信じられずに「ふざけるのもいい加減にしろ!」と怒りましたが、その後人目もはばからずに号泣したといいます。
「不知火型短命ジンクス」は破られつつある!?
その後何人もの横綱が、不知火型の継承・保存のため敢えてこの型を選びましたが、高齢で横綱になった力士が多かったこともあり、その多くが実際に短命で終わりました。また「部屋内でのトラブルで脱走」という前代未聞の不祥事で廃業した横綱・双羽黒が不知火型だったことも、大きなマイナスイメージとなりました。
しかし不知火型の横綱・白鵬は、幕内最高優勝回数・横綱在位記録共に歴代トップ(2018年現在)、その他にも輝かしい記録を次々と打ち立て「大横綱」と呼ぶにふさわしい活躍を見せ続けています。彼が引退した時に「短命横綱」と言える人は、誰もいないでしょう。
「不知火型ジンクス」は、破られつつあると言っても過言ではありませんね。
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