焼け野原からの再出発!戦後に「青空お見合い大作戦」があったって本当なの!?:2ページ目
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戦後のお見合い大作戦
昭和22年11月6日、多摩川河川敷で結婚情報誌「希望」が主催する「青空集団お見合い」に20〜50代の男女が押しかけました。
終戦直後の当時の日本には、若くして夫を戦争で失い未亡人になってしまった女性や、空襲等で妻を失った男性が溢れていました。そんな人々や戦争で婚期を逃した若者たちが再出発を期して多摩川河川敷に集結したのです。
その参加者数は公式な記録では「386人」とされていますが、研究家によると実際にその場所に集まったのは数万人にも上ったのではないかといわれています。
多摩川河川敷で開催された集団お見合いの様子
出典元:特定非営利活動法人 水・防災機構ホームページより
小説家・坂口安吾の「集団見合」にもその様子が描写されています。
集団見合は、いたるところセン風をまき起している様子であった。
いる、いる。ドテの上は新聞社、ニュース映画社、放送局、自動車だらけだ。アメリカのカメラマンまで出張している。
たしかに一万をこす群集である。このなかに三千何人かの花ムコ花ヨメ志願者がいるのである
確かに物凄い人出だった事が伺えます。そして、参加者は札を付けていたという事も記述されています。
「女の人は、白札がヨメに行きたし、赤札がムコもらいたし。男は、白札がヨメもらいたし、赤札がムコに行きたし」という目印だったようです。
この集団お見合いも一因となり、昭和24年には日本は第1次ベビーブームのピークを迎える事になりました。太平洋戦争の焼け野原からの再出発。亡くした夫や妻の姿をそっと胸の奥にしまって、人々は明日へといのちをつなぐために多摩川の土手に集まりました。「青空集団お見合い」の記録は、「人間が生きる事」を改めて考えさせられる歴史的記録の一つです。
参考文献:坂口安吾「集団見合」
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