幕末の志士も惚れた英雄!楠木正成のアツ過ぎる一生[その弐]:2ページ目
決戦は千早城!ゲリラ戦で大軍を蹴散らす!
赤坂城の戦いでは退却を余儀なくされ、後醍醐天皇も隠岐に流されてしまった正成でしたが、その翌年には再び赤坂城を奪還します。幕命で城主となっていた湯浅定仏(じょうぶつ)なる武将を、“敵の食糧輸送隊に成り済まして城内に侵入する”という奇抜な計略で捕え、湯浅らを殺さずに登用することで、難点だった人手不足も同時に解決したのです。
畿内各地で正成が反乱を起こしたのを知った執権・北条高時は元寇3年(1333年)、楠木家が居城とした千早城に攻め込み、猛攻を仕掛けます。そこでも正成の知略はいかんなく発揮され、伏兵や落石による混乱だけでなく、敵がはしごを使えば油とたいまつを駆使して燃やす火攻め、わら人形を置いて偽装するなどの反撃で、次々に幕府軍を倒しました。
中には熱した糞尿を浴びせる(毒物攻撃?)と言う、少々お下品なものもありましたが、敵の糧道を断って兵糧攻めをするなどの実利的な戦法や、小部隊による奇襲攻撃、今でいうゲリラ戦を駆使し、正成は幕府軍を潰走させたのです。