神田祭はもともと9月の祭りだった。変更理由は平将門の祟り?:2ページ目
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しかし時代が明治に移ると、そんな神田祭にもピンチが訪れます。祭神である平将門が、「平安時代に朝廷に背いた朝敵である」として、ナント末社(大きな神社の中にある小っちゃな社)に格下げされてしまったのです!
「おきゃがれ!」と神田っ子はブチギレ、意地を張って10年間も祭りを中止。10年後の明治17年、ようやく冷静になったのか「久しぶりにやるか」と政府に反発してお金も沢山集め、過去最大級に豪勢にやろうとした9月15日。旧暦でなく新暦の9月になった事も影響して、ナント特大の台風、名付けて「将門台風」が関東地方を襲ったのです!
これにはさすがの神田っ子も「ご勘弁」!大伝馬町の諌鼓鶏の先頭山車の後、2、3の山車は出せたようですが、祭りは途中で中止せざるを得ず、「明治政府の扱いに怒った将門様の祟りだ!」という噂が流れました。その後も明治23、24年頃の9月にはコレラが大流行するなど、将門の怒り(?)はおさまりません。結局9月という時期が悪いという事になり、ついに神田祭は5月に移されました。
ちなみに平将門は、昭和期に入ってしばらく経ったのちにもとの本社に格上げされ、再び堂々たる神田明神の祭神として祀られるようになりました。薫風かおる5月、400年の時を超えて力いっぱい神輿を担ぎ、青葉の東京の町を練り歩く現代の江戸っ子たちを、将門様は今も優しく見守ってくれています。
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