【ブラッサム】珠を「文学の道」へ導く4つの転換点――悪評で居場所を失った受難と、運命を変えた“救世主”:3ページ目
名門中の名門高等学校から東大へ
珠がひさびさに再会した木村保は、誰が見ても京都の第三高等学校の生徒とわかる3本の白線が入った学生帽をかぶっていました。
夏休みで岩国に帰省中だったのです。保のモデルとされる千代の従兄・藤村忠も、再会したときは第三高等学校の生徒でした。
京都の第三高等学校といえば、当時、全国の旧制中学校生徒の憧れの的だった、名門中の名門。千代が藤村忠に再会した大正5年(1916)でも、今の偏差値でいえば最上位層だったそうです。
東京の第一高等学校と並ぶ東西の両横綱とされ、多くの卒業生は京都帝国大学に進みましたが、東京帝国大学(現在の東大)に進学する人もいました。
ドラマの保と同様、三高を卒業後、東京帝国大学に進学・卒業した著名人には、明治生まれで内閣総理大臣を務めた人たちもいます。
⚫︎「ライオン宰相」と呼ばれた濱口雄幸(はまぐちおさち)
⚫︎「幣原外交」と称された幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)
⚫︎弁護士でもあった片山哲(かたやまてつ)
なども、三高を卒業後、東京帝国大学に進学しています。
三高→帝大コースを歩む息子は、母・木村照子(山田真歩)にとっては、さぞかし自慢だったことでしょう。
教育者だった珠は、保の知性ある雰囲気に惹かれたのかもしれません。
偏見や差別を持たない好青年
以前、遊郭遊びに溺れる夫に我慢ができず『やめじゃ!』と、婚家を飛び出した珠の背中を『それがええ!』と微笑みで見送ったが保。
兄の遊郭通いを両親が隠したまま結婚させたことも謝っていました。
再会した保は相変わらず誠実そうな好青年でした。
村の男性らは大人から子供まで、『岩田屋』の主人・岩田幸三(八嶋智人)以外は、陰湿でいじめが大好きな人間ばかり。
噂話を盛ってニヤつく。相手が“腕力で抵抗してこない”と見ると喜んでいじめる……こんな風潮は現代と同じ。こういうとき、「責める矛先は男に向かわない」のも似ていますね。
そんな中、「噂のハノタマ先生」ではなく「葉野珠」そのものを見て接する保。
珠も構えずに話すことができたでしょう。

