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【豊臣兄弟!】愛ゆえの残酷な別離…「里芋が一番じゃ」の真意と、あさひの初陣に隠された夫婦の誓い

【豊臣兄弟!】愛ゆえの残酷な別離…「里芋が一番じゃ」の真意と、あさひの初陣に隠された夫婦の誓い:4ページ目

 
2026/10/20

「歴史を塗り替えてこそ真の大河ドラマ」

夫が自分の背中を押すため、下手な芝居をしたことをすぐに理解したあさひ。

夫が庭の木陰に隠れて別れを告げに来たことも察し、小一郎(仲野太賀)に話しかけるふりをして、

「私にしかできないことを存分にやってみる。そう思えたのはあんたのおかげ」と言い笑顔で「行ってきます」と、別れの言葉を伝えます。

あさひが泣きの涙で別れるのでもなく、不承不承嫁ぐのでもなく、彼女自身の意思で、自分の進む道を選んだという脚本に、少し救われる思い。

もちろん、史実ではなく創作でしょうけれども。

以前、松永久秀を演じた竹中直人さんが『歴史を塗り替えてこそ、真の大河ドラマだと思っています。』と語っていた言葉を思い出します。

夫婦のお互いを想う気持ちを丁寧に描き、記憶に残るストーリーに展開した今回は、脚本にも俳優さんの演技にも泣かされました。

あさひと家康の結婚

史実では、天正14年(1586)5月、あさひは家康に嫁ぎました。当時、あさひは44歳で家康は45歳。

従来は「秀吉が家康を懐柔するために差し出した」説が中心でしたが、近年の研究では、ドラマと同様、家康側の希望だった説が有力です。

天正14年(1586年)5月24日付の秀吉朱印状に
「家康の事、種々縁辺等の儀迄懇望せしめ候」(家康が縁組などのことを熱心に希望した)と明記されているそうです。

狙いは、秀吉の実の妹・あさひを正室に迎えることで「天下人・豊臣秀吉の義理の弟」の座を手に入れ、政権内での自身の立場を安定・優位にするためと見られます。

家康はすでに正室の築山殿が死去していたために、積極的な縁組を望んだようです。

ドラマでは、輿入れの模様は描かれませんでしたが、あさひは4月に大坂城を出発し、京都の聚楽第を経て東海道を下り、5月11日に三河の西野に到着。

14日に浜松に入り、家康との婚礼を挙げました。輿入れは150人余りの花嫁行列で、銭貨・金銀・嫁入り道具などを多数運んだ盛大なものでした。

あさひの輿入れは、「豊臣・徳川両家の同盟・臣従関係を可視化する政治的イベント」であり、天下人の妹を正室に迎える格式にふさわしい規模・豪華さで秀吉の権威と誠意を示し、なおかつ家康側にも面子を立てる必要があったとされます。

道端の見物人が、ため息を漏らすような豪華な花嫁行列……あさひ姫、全然、嬉しくもなんともなかったろうなあ〜、と440年後の人間は思ってしまうのでした。

5ページ目 わずか4年間だったあさひと家康の結婚生活

 

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