【豊臣兄弟!】愛ゆえの残酷な別離…「里芋が一番じゃ」の真意と、あさひの初陣に隠された夫婦の誓い:3ページ目
あさひの“史実”にはさまざまな説が
実際は、あさひの前半の半生自体は記録が乏しく、家康に嫁ぐ以前のことはわからないようです。
そんなあさひの前夫とされる相手は2つの説が。
⚫︎佐治日向守:信長に仕えた秀吉の出世とともに武士となり、この名を名乗ったとする人物。
江戸時代の家康の伝記『武徳編年集成』によると、あさひの夫の名は、佐治日向守としてあるそう。
佐治日向守は、秀吉から、政略結婚話を聞かされたとき、「あさひ姫を返して天下が治まるならば、どうして断ることがあるだろうか」と了承するも、その後自害したといわれています。
⚫︎副田甚兵衛吉成:秀吉に従い、あさひを妻にしたとする人物。
吉成は、秀長の但波国侵攻に従軍、与力として多伊城を与えられ、本能寺の変後に秀吉が大徳寺で行った信長の葬儀奉行を行う……などの記録はいろいろあるようです。
けれども、二人の夫婦関係の内面や日常が窺い知れるような当時の記録はほとんどなく、子供の有無も不明。
「豊臣兄弟!」では甚兵衛説を取り入れたのでしょう。
ドラマでは、仲良し夫婦として描かれてきたので、別離の悲劇がより辛く感じられましたね。
※あさひに関して、こちらの記事も合わせてご覧ください。
【豊臣兄弟!】あさひ(倉沢杏菜)が家康と強制結婚!悲劇的な末路の真相、引き裂かれた夫婦の絆…
豊臣を照らし続けた“太陽”は徳川に…
甚兵衛は、あさひを連れて逃げようとするも失敗。
秀長の家臣らに捕まり「密告した者がいた」と告げられ、思わず「お前が裏切ったんだろ!」と、妻に罵詈雑言を浴びせかけ「離縁してくれるわ」と背中を向けました。
甚兵衛、渾身の「下手な芝居」。こんなに悲し過ぎる“毒づき”があったでしょうか。
秀吉(池松壮亮)も秀長(仲野太賀)も、密告者は甚兵衛本人だったことを分かっていました。
甚兵衛は兄弟に「あさひは、子もできない、戦にも行けない、字は下手だし銭勘定にも暗い。自分は豊臣家の何も役に立っていないとずっと悩んでいた。だから、今回の家康に嫁ぐ話はすぐにでも引き受けたかったはず。けれど、わたしなどに遠慮して」と、涙ながらに打ち明けました。
「藤吉郎どの…小一郎どの……あさひを、まこと豊臣の天下を支える一人にしてくだされ」と頭を下げた甚兵衛。
昔のままの藤吉郎と小一郎の名で呼びしたのは刺さりました。
豊臣家では、子をもうけ武士の娘らしく知識も豊富な慶(吉岡里帆)。
跡取り候補にもなる、3人の息子をもうけた姉のとも(宮澤エマ)。
複数の養子を立派な家臣として育て上げ、太閤の妻・北政所として堂々と秀吉を支えるようになった寧々(浜辺美波)。
まさか、あさひが「彼女らに比べて自分は取り柄もないし豊臣の役になっていない」と悩んでいたとは。
だから、せめて太陽のように家族を明るく照らそうといつも笑顔でいたとは。
笑顔の裏にあった、辛過ぎる真実でした。
もちろん、史実のあさひがそのような女性だったどうかを記した史料はないようです。
けれど、実在の人物であるともと寧々を自分と比べ、考えてしまうことはあったかも。
今や、ご立派になられた豊臣兄弟の頭上には、暗雲が少しずつ迫りつつあります。
貧しい百姓時代からずっと明るく家を照らし続けてきたあさひという太陽のありがたさを忘れちゃあいませんか?太閤さんと秀長さんよ……と聞きたい。
太陽を自分たちの手で追い出してしまった豊臣家。
その太陽は豊臣を出て、今度は笑顔で家康を照らすことになりました。
飛ぶ鳥落とす勢いの豊臣から太陽が次の政権・徳川に移っていく……そんな感じがしたのでした。


