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【豊臣兄弟!】寧々一筋のはずが実は側室200人超!石川数正はなぜ出奔?ほか…第39回の史実を一挙紹介

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石川数正はなぜ出奔した?

秀吉討つべし!脳筋(脳みそ筋肉)な主戦派四天王の盛り上がりに愛想が尽きたのか、石川数正(迫田孝也)が豊臣方へ出奔してしまいました。

石川数正の出奔に関してはこちらの記事も合わせてご覧ください。

『豊臣兄弟!』なぜ石川数正(迫田孝也)は徳川家康を裏切ったのか? 史実とドラマ描写から見える出奔の理由

豊臣秀吉(池松壮亮)と徳川家康(松下洸平)・織田信雄(山脇辰哉)連合軍との間で、1584年(天正12年)3月から繰り広げられた小牧・長久手の戦い。同年11月、信雄が秀吉と単独講和を結ぶと、家康…

ただ気になるのは、徳川家康(松下洸平)の「あいつら、今すぐ死んでくれんかのぅ」というセリフを受けて、秀吉と小一郎の暗殺でも企んでいるのではないかと勘繰ってしまいます。

さて、史実でも石川数正は家康の下を出奔して秀吉に寝返っていますが、その理由については諸説ありました。

なぜ石川数正は出奔した?

  • 家康と不和になった
  • 秀吉との連絡役を通じて秀吉に魅了された
  • 秀吉から調略(より好待遇を提示)された
  • 徳川家臣団の武断派から秀吉との内通を疑われ、危機感を覚えた
  • このままでは徳川家が滅ぼされると危機感を覚えた 等々。

いずれにしても家康との間に何かあったことはうかがわれ、天正13年(1585年)ごろには家康から康の偏諱を賜わって石川康輝(やすてる)と改名しています。

家康としては、懐刀である数正を何とかつなぎとめておきたかったのでしょう。しかし天正13年(1585年)11月13日に数正は出奔してしまいました。

秀吉は数正を大歓迎し、河内国に8万石の所領を与えた上で自身の偏諱「吉」を与えて石川吉輝(よしてる)と改名させています。

康の字を返上したことで家康との縁を切り、新たに吉の字を冠して秀吉の家臣となったことを示すものでした。

果たして豊臣家臣となった石川数正は、どんな活躍を魅せるのでしょうか。楽しみに見守りたいですね(あ、死なないので安心してください)。

第40回放送「あさひの輿入れ」

数正(迫田孝也)が豊臣方へ出奔し、徳川家中は騒然。豊臣との戦は不可能と思われたが、家康(松下洸平)が諦める様子はない。秀長(仲野太賀)ももはや手立てがなく、秀吉(池松壮亮)が挙兵を決めた矢先、大地震が発生する。大坂・浜松ともに大きな被害を受け、両者は和睦の道を探ることに。だが家康は和睦にあたり、秀吉の身内を妻として差し出すよう要求してくる。豊臣家から輿入れできるのはあさひ(倉沢杏菜)だけで・・・

※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。

結婚しているところを引き離してよいなら、別にともでもいいのでは?と思ってしまいますが、そこは「史実がそうだった」のだからどうしようもありません。

さんざん「夫婦はいいぞ」と茶々をそそのかした翌週にこれでは、彼女もうんざりしてしまうかもしれませんね。

来週は涙の夫婦劇が演じられる見通しですので、大量のハンカチかバスタオルのご用意をおすすめします。

天下一統までまだまだ続く長い道のり、これからも熱視線で見守っていきましょう!「豊臣兄弟!」について、こちらの記事でも紹介していますので、ぜひ一緒にご覧ください。

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