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【豊臣兄弟!】寧々一筋のはずが実は側室200人超!石川数正はなぜ出奔?ほか…第39回の史実を一挙紹介

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羽柴秀勝は三人いた

亡き織田信長(小栗旬)からもらった養子の羽柴秀勝(柊木陽太)は天正13年(1586年)12月10日に19歳の若さで世を去ってしまいました。秀吉はさぞ落胆したことでしょう。

ちなみに羽柴秀勝と名づけられた人物は同時代に3名おり、いずれも秀吉の子供(実子または養子)でした。

一人目の羽柴秀勝(石松丸)

秀吉の実子で生母は先ほど紹介した南殿。生年不詳、天正4年(1576年)10月14日に幼くして早逝しています。

二人目の羽柴秀勝(於次丸)

信長の四男もしくは五男で、秀吉の後継者候補として大切に育てられてきました。信長死後は秀吉の野望によって都合よく使われ、賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いでも活躍しています。

毛利輝元(濱省吾)の養女と結婚しますが、間もなく世を去ってしまいました。

三人目の羽柴秀勝(小吉)

今回劇中で羽柴秀次(山田涼介)の弟として言及された小吉で、姉とも(宮澤エマ)と三好吉房(上川周作)の次男です。彼もまた長兄秀次と共に秀吉の養子となりました。

九州征伐や小田原征伐で活躍して甲斐国(山梨県)を与えられますが、母ともが「遠すぎてかわいそうだからもっと近くにして」とゴネたために美濃国(岐阜県)に領地替えとなっています。

文禄の役(第一次朝鮮征伐)にも出陣したものの、天正20年(1592年)9月9日に現地で病死してしまいました。

こうして見ると、確かに秀吉はつくづく肉親に縁が薄いのかもしれませんね。

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