【豊臣兄弟!】寧々一筋のはずが実は側室200人超!石川数正はなぜ出奔?ほか…第39回の史実を一挙紹介:3ページ目
初と江はその後どうなった?
今回は結婚したことが言及された初(田牧そら)と江(西川愛莉)。たぶんこのままフェイドアウトすると思われるため、彼女たちがその後どうなったのかを軽くおさえておきましょう。
『豊臣兄弟!』後半の鍵を握る「浅井三姉妹」茶々・初・江——秀吉に翻弄された波乱の生涯
初(田牧そら)はその後どうなった?
天正15年(1587年)に従兄の京極高次(きょうごく たかつぐ)と結婚。正室として迎えられました。京極家は浅井家の主君筋に当たるため、申し分のない縁談だったと言えるでしょう。
結婚後は夫を支えますが子供はなく、慶長14年(1609年)に夫が先立つと出家して常高院(じょうこういん)と号しました。
その後は豊臣家と徳川家の仲立ちとして戦争回避に奔走し、慶長19年(1614年)に大坂の陣が勃発した後も和睦のために尽力します。
翌慶長20年(1615年)の豊臣家滅亡後は江戸で暮らし、江戸時代の寛永10年(1633年)に64歳で世を去りました。
江(西川愛莉)はその後どうなった?
織田信雄(山脇辰哉)の計らいによって天正12年(1584年)に佐治一成(さじ かずなり)と結婚します。しかし夫が小牧・長久手の戦いで徳川家康に便宜を図ったため、秀吉の怒りを買って離縁させられています。
やがて天正14年(1586年)ごろに先ほど紹介した羽柴秀勝(小吉)と再婚。一人娘の豊臣完子(さだこ)を生みますが、夫に先立たれてしまいました。
そして文禄4年(1595年)に徳川秀忠(長丸。家康嫡男)と再々婚します。秀忠との関係は円満で、二男五女を授かりました。
- 長女・千姫→豊臣秀頼(秀吉と茶々の子)と結婚
- 次女・珠姫→前田利常(前田利家の四男)と結婚
- 三女・勝姫→松平忠直(徳川家康の孫)と結婚
- 四女・初姫→京極忠高(京極忠次の子)と結婚
- 長男・徳川家光→江戸幕府第3代将軍
- 次男・徳川忠長→兄の家光と対立し、敗れて改易される
- 五女・徳川和子→後水尾天皇(第108代)に入内し明正天皇(第109代)の母に
江姫は豊臣一族と徳川一族の血筋を後世に受け継ぐ上で、大きな役割を果たしたと言えるでしょう。
「夫婦はいいぞ」から来週のフラグ
一生お荷物として嫌がらせのために生きます……堂々たるニート宣言を果たして秀吉を困らせる茶々に対して、何とか結婚させようとあさひ(倉沢杏菜)と副田吉成(前原瑞樹)、そして小一郎(仲野太賀)が引っ張り出されてきました。
「夫婦はいいぞ」とばかりあさひと吉成の夫婦漫才を演じた後、小一郎が「はじめは敵と思われていたが、やがて受け入れてくれるようになった」と、慶(吉岡里帆)との関係を語ります。
かつてどこかの大河ドラマで、誰だったかが「時が二人を夫婦にする」と語っていましたが、まったくその通りではないでしょうか。
前回に豊臣姓に対する思いを聞いて、秀吉への敵愾心が少しずつ揺らぎつつあった茶々にとって、これらの話は結婚への追い風をうながす効果があったのかもしれません。
しかし散々「夫婦はいいぞ」と仲良しこよしを見せつけたあさひと吉成ですが、来週にはそれがあっさりと引き裂かれることになるのでした。
あさひと吉成の今後について、こちらの記事で紹介しています。
『豊臣兄弟!』妻・あさひは売らない!秀吉の非情な条件を退けた甚助の悲劇的な末路
茶々の輿入れによって「天下人の秀吉とその正室である寧々でさえ、自分たちの思い通りにはならない」ことが示された以上、豊臣一門であるあさひと吉成が例外となるはずはありません。
それでは来週の大盛り上がりを、楽しみに待つことにしましょう。



