八咫烏、3本足ではなかった?東西の聖地・熊野と出羽三山を巡る「八咫烏の伝説」の謎:2ページ目
神武天皇はなぜ熊野へ? 八咫烏はどこから来たの?
そもそも神武天皇は、天照大神が治める高天原から地上に降り立ったニニギノミコトの曾孫にあたり、天孫の血筋を受け継ぎます。また、海幸山幸の伝説で有名な、山幸彦の子孫でもあります。
彼は日向(現在の宮崎県周辺)で暮らしていましたが、東方で国を造るために兄と出発し、瀬戸内海を進んで理想郷と思われていた大和を目指しました。最初は大阪湾側から大和へ入ろうとし、生駒山地の西側にある難波方面に上陸します。しかし、そこで長髄彦(ながすねひこ)という勢力と戦い、大きな苦戦を強いられます。
神武天皇の兄・五瀬命(いつせのみこと)は戦いで傷を負い、その理由を次のように考えたとされます。
「日の神の子孫である我々が、東に向かって戦うのは太陽に背を向けることになる」
そこで一行は作戦を変更し、紀伊半島を南へ回って熊野へ上陸し、そこから大和を目指すことにしました。
地理的な観点では、
- 紀伊半島を回って大和へ近づける
- 敵対勢力の少ない別ルートを取れる
- 東側から大和へ入ることができる
という利点があったようです。
しかし熊野への道中も苦難の連続。激しい嵐に遭い、神武天皇の二人の兄も命を落としてしまいます。神武天皇は残された軍勢を率いて熊野の山中へと分け入りましたが、深い森の中で道に迷ってしまいます。そこで現れたのが八咫烏です。
八咫烏を遣わせたのは『古事記』では高木大神で、『日本書紀』では天照大神とされています。
ちなみに八咫烏の咫(あた)は長さの単位のこと。
親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)で、計算すると八咫は144cmとなりますが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味です。日本では八百万や八百屋など、大きくて多いものに「八」を付けることが多いですね。
八咫烏は現在も、熊野大神(素戔嗚尊)に仕える存在として熊野で信仰されています。

