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『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)が登場!国宝茶室「待庵」わずか二畳に凝縮された“わび茶”の美学

『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)が登場!国宝茶室「待庵」わずか二畳に凝縮された“わび茶”の美学:2ページ目

わずか二畳。「待庵」に凝縮された利休の美意識

「待庵」は、妙喜庵という寺院のなかにあります。同寺は山号を「豊興山」といい、「妙喜禅庵」とも称する臨済宗東福寺派の寺院です。

妙喜庵の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説もあります。「待庵」は、重要文化財に指定されている書院の南側に接して建っています。

では、ここからは「待庵」の構造を紐解いていきましょう。

まずは屋根です。切妻造り柿葺き(こけらぶき)で、利休好みの草庵茶室らしい素朴な自然さを感じさせます。

続いて、茶室の出入り口である躙口(にじりぐち)。その寸法は、高さ約2.6尺(約79cm)、横幅約2.3尺(約70cm)でここをくぐると、いよいよ茶室のなかです。

躙口は時代が進むと、高さ2尺2寸5分(約68cm)、横幅2尺1寸(約64cm)と、さらに小さくなります。そこから「待庵」の躙口は初期のものと推察され、ここからも同庵が現存最古の茶室遺構であることがうかがえるのです。

そして、しつこいようですが、「待庵」はわずか二畳の広さしかありません。

その内部を見ると正面に床の間、向かって左隅に炉が切られ、点前畳の脇には襖(ふすま)があります。さらに一畳板入りの次の間、そして一畳の勝手間が付いています。

床は天井、脇壁すべてを壁で塗り回した室床(むろとこ)で、天井は場所によって異なる構造になっています。

実は、この天井にも驚くような意匠が込められています。

床前と点前座は平天井、そのほかは掛込天井にして、中央部に高い部分をつくることで圧迫感を解消。わずか二畳の空間でありながら、実際以上の広がりを感じさせる工夫が施されているのです。

また、壁に設けられた下地窓(したじまど)と連子窓(れんじまど)を併用し、室内に効果的なほの暗さと、ほのかな明るさを生み出しています。

この明暗の分布という演出効果が、たった二畳という狭く静かな空間だからこそ生まれる緊張感と精神性を際立たせているのです。

利休の秘伝書とされる『南方録』には、「二畳の小座敷、草庵一向の住まいなるべし」という言葉があります。

この言葉に照らして考えれば、「待庵」こそ利休が目指した茶室の究極の形であると考えてもよいのではないでしょうか。

わずか二畳という、極限まで削ぎ落とされた空間。しかし、そこには陰と陽、高低差、素材の質感など、利休が追い求めた茶の湯の美意識が見事に凝縮されています。

「待庵」が利休の手によるものかどうかは、今なお断定できません。しかしながら「待庵」は、まさに千利休が追い求めた茶室美学を現代に伝える、かけがえのない遺構といえるのではないでしょうか。

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※参考文献
神津朝夫著 『千利休の「わび」とはなにか』 (角川ソフィア文庫)

 

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