“戦上手”だけじゃない!リアリスト・織田信長が京都上洛後に仕掛けた現代顔負けの「金融戦略」:3ページ目
金を動かす
信長の経済感覚を示す行動として、上洛後に金銀を使い、高価な茶道具などを大量に購入したことも挙げられます。足利義政ら歴代将軍が集めた東山御物も、その対象となりました。
以前は、信長のこうした行為を地方から来た武士が京都のぜいたく品を欲しがった行動だと説明されることもありました。ところが現在では、別の解釈が示されています。
その説によると、信長は京都の富裕層から茶道具を買うことで、畿内へ金銀を流して市場へ資金を戻したというのです。これが本当なら現代の金融政策に似た行為ですが、信長が現代的な意味でマネーサプライを理解していたかどうかは分かりません。
それでも、集まった金銀をため込まず、商品購入という形で市場へ戻したことには意味がありますし、そこには重要な意味もありました。商業を活発にするには、商品だけでなくそれを買う貨幣にも動いてもらわないと困るからです。
このように信長の政策を見ていくと、彼は戦争と政治だけを別々に捉えていたとは考えられません。軍事、都市、交易、貨幣を一つの経済活動としてとらえていた点に、その思考の大きな特徴があります。
こうした経済政策の一部は豊臣秀吉へ受け継がれ、さらに江戸幕府の経済運営にもつながりました。信長の活動期間は短かったものの、その影響は決して小さくなかったのです。
この流れを見るなら、信長の強さは単なる武勇ではなく、社会がどう動いているのかを見抜くリアリスティックな力にあったと考えることができるでしょう。
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参考資料:出口治明『10人の英傑が「この国」を変えた 大転換の日本史』2025年、PHP研究所
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