清須会議で秀吉の“天下取り確定”は間違い!三法師を抱えた織田信孝と「ポスト信長」をめぐる権力闘争:3ページ目
曲折ののちの天下人
天正十一年、秀吉と勝家の決戦である賤ヶ岳の戦いが起こり、秀吉は機動力と調略で勝利します。
勝家は自害し、続いて信雄は信孝を討ち、信孝も切腹に追い込まれました。
反秀吉勢力が消えたことで、織田家の当主である信雄を秀吉が単独で補佐する体制が整い、ここでようやく秀吉は織田政権の実権を握ることになります。
その後、秀吉は大坂城に入り、信雄ではなく自分こそが信長の後継であるという態度を示し始めました。
信雄は家康と結び、小牧・長久手の戦いが起こりますが、最終的に秀吉が信雄を屈服させ、天下人への道を固めていきます。
こうした流れを見ると、秀吉の天下取りは「中国大返し」から一直線に進んだわけではありません。信孝や勝家との対立、宿老たちの動き、政治的な駆け引きが重なった結果として形づくられたものです。
秀吉が最初から議論の主導権を握っていたとする見方は、後から振り返った結果にすぎず、実際には状況に応じて動きながら主導権をつかんでいったと考える方が自然でしょう。
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参考資料:
呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』2025年、幻冬舎新書
中公ムック『歴史と人物24 豊臣秀吉と秀長 完全ガイド』2025年、中央公論新社
TJ MOOK『歴史アドベンチャー 豊臣秀長 天下統一を成し遂げた兄弟の軌跡』2025年、宝島社
MSムック『豊臣秀長と秀吉 戦国乱世と天下統一への道』2025年、株式会社メディアソフト
画像:Wikipedia,PhotoAC

