豊臣秀吉の高松城水攻め“巨大堤防”伝説は本当か?3キロ堤防の裏にあった合理的すぎる戦略【豊臣兄弟!】:3ページ目
コストは最小限
高松城水攻めは、講談や軍記物によって奇跡の大工事として語られてきました。しかし、近年の歴史地理学の研究は、このイメージを大きく塗り替えています。
城の南側には「水通し(水越し)」と呼ばれる幅三百メートルの狭い排水路があり、実際にはここを堰き止めるだけで水攻めに必要な水量が確保できたのです。
つまり、秀吉が行ったのは城を湖に沈める巨大工事ではなく、単に排水路を塞ぐだけの合理的な操作でした。
彼は湿地帯という地形的な弱点を突き、最小限の工事(コスト)で最大の効果を得るという戦略を苦組み立てたのです。
そして、ご存じの通り、水攻めの最中に起きたのが本能寺の変でした。秀吉と毛利軍がにらみ合う中、六月二日の急報が戦局を一変させたのです。
ここから秀吉の中国大返しが始まり、彼は一気に天下人への道を駆け上がっていきます。
高松城水攻めは、秀吉の戦略眼と実行力が最も鮮やかに現れた場面であり、同時に彼の人生を決定的に動かした転機でもありました。
参考資料:
呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』2025年、幻冬舎新書
中公ムック『歴史と人物24 豊臣秀吉と秀長 完全ガイド』2025年、中央公論新社
TJ MOOK『歴史アドベンチャー 豊臣秀長 天下統一を成し遂げた兄弟の軌跡』2025年、宝島社
MSムック『豊臣秀長と秀吉 戦国乱世と天下統一への道』2025年、株式会社メディアソフト
画像:PhotoAC,Wikipedia
