豊臣秀吉の高松城水攻め“巨大堤防”伝説は本当か?3キロ堤防の裏にあった合理的すぎる戦略【豊臣兄弟!】:2ページ目
狙いは水没ではない
ところで、それでは秀吉はなぜ水攻めを選んだのでしょうか。
籠城する側は清水宗治率いる三千人、対する秀吉軍は宇喜多氏の援軍を含め二万五千人でした。数字を見ただけでも分かる通り兵力差は圧倒的で、正攻法でも勝てたはずです。
それでも秀吉は迂遠な水攻めを選びました。
その理由は、彼が毛利氏の主力を誘い出すためだったと考えられます。高松城を攻囲すれば、毛利軍は救援に動かざるを得ません。そこへ信長の援軍が合流すれば、一気に主力決戦に持ち込めるという考えだったのでしょう。
この戦略は『信長公記』の記述とも矛盾しません。秀吉は鳥取城を落とした後で姫路城に戻り、次の標的として高松城を選びました。
毛利氏の防衛線を突破するには、宗治の高松城を無視することはできなかったのです。
ここで湿地帯という地形を逆手に取るという考え方は、秀吉らしい柔軟な発想でした。
地形を読む力、短期間で工事を実行する組織力、敵の心理を読む洞察力――これらが水攻めという形で結実したのでしょう。
