国立劇場の不在は喪失か、それとも好機か?閉場で見えた“古典芸能”の新たな可能性と未来:2ページ目
「劇場」不在がもたらす新たな鼓動
劇場の閉鎖は、公演の縮小を意味します。それは「芸を磨く」という機会の断絶をも意味しています。
歌舞伎や文楽はもちろん、舞踊、邦楽、雅楽、声明、民俗芸能など多々ある古典芸能の披露の場であった国立劇場の不在は、各芸能とそこに携わる人々を路頭に迷わせる危険性さえ生じさせています。
しかし今、「国立劇場主催公演」として、数は少なくなったものの、公演は首都圏各地で引き続き行われています。
国立劇場の雰囲気に慣れ親しんだ方には、趣の違った舞台を見るという新鮮さを感じてもらえるものになっているでしょう。
また、触れる機会のなかったものが、もし身近に、歩いて行ける距離に、車や電車やバスで行ける距離に現れたら、燻ぶっていた興味関心を解き放つきっかけになるかもしれません。
「国立劇場に作品を見に行く」という行為も素晴らしいですが、国立劇場ではなくとも「作品を見に行く」機会が増えれば、芸能文化の裾野(すその)は広がっていきます。
むしろ、国立劇場の不在は、大きな拠点を失った反面、より広く様々な場所で、古典芸能に触れることのできる機会を生み出している可能性もあります。
そう、劇場の一時的な閉場は、その鼓動を止めるものではなく、新しい別の鼓動を生み出すきっかけでもあるのです。