お寺の香炉で煙を浴び身を清める風習はなぜ?宗教を超えて広がる“煙”による祈りと浄化の思想:2ページ目
キリスト教
カトリックや東方正教会などの伝統的なキリスト教のミサ(礼拝)では、鎖で吊るされた金属製の器を振り回す「振り香炉」というものがあります。鎖を持って振ることで、中の炭に空気を送り込み、煙を絶やさず大量に出し、参列している信者たちに向かって振られます。
これは、聖書(詩編 141:2)にある「わたしの祈りが捧げる香の煙のように立ち昇りますように」という一節の再現で、信者の祈りが神に届く様子を表しています。
ちなみに中に入っているのは、主に乳香という樹液の樹脂。イエス・キリストが誕生した際、東方の三博士が捧げた「黄金・乳香・没薬」の一つとしても有名です。
北米や中南米
北米や中南米の先住民族にとって、やはり煙は邪気を払うものとして扱われてきました。
ネイティブ・アメリカンには「スマッジング」という風習があり、ホワイトセージなどのハーブを焚き、その煙を体に浴びせたり空間にこもらせて、悪いエネルギーを追い払うことで精神をクリアにすると信じられています。
また、次回の記事で後述しますが、煙草は単なる嗜好品ではなく、神や精霊と交信するための神聖な植物でした。
煙草の煙は「天(神)へと昇っていく祈り」そのものと考えられています。
ここまで煙というものが、洋の東西問わず、清めるという意味をもつことがわかりました。しかしなぜ人間がそのような考え方を持ったのかまではわかりません。
前述した聖書の下りのように、立ち上る煙が魂や天界に通じるイメージを持ったという視覚的要素が強いように、筆者は考えます。
また、実利の面もあります。昔は建物そのものを燻すことで害虫駆除もしていましたし、昔は風呂の風習がなかった人々の、体臭を消す役割もあったようです。
そういった直接的な恩恵により煙=清浄のイメージが人間に根付いたのかもしれません。
次回の記事では、煙草と人間の歴史を紹介します。
