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朝ドラ『風、薫る』短い人生を駆けた異才…シマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)の実在モデル・鄭永慶の生涯

朝ドラ『風、薫る』短い人生を駆けた異才…シマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)の実在モデル・鄭永慶の生涯:2ページ目

語学が堪能で日本初の喫茶店を開いた人物

島田健次郎のモデルではないか?と言われている鄭永慶は、安政5年(1858)備前長崎に生まれました。りんのモデル・大関和とは同い年ですね。

明治時代の外交官、鄭永寧(ていえいねい)の息子で、家は代々、唐通事(江戸時代の長崎や薩摩藩、琉球王国などに置かれていた中国語の通訳)でした。

永慶は、明治7年(1874)頃にアメリカ・イェール大学大学に留学し、帰国後は外務省、大蔵省の官吏や英語教師などを務めたそうです。

仕事柄語学に堪能で、単に外国人と日本人の通訳をするだけではなく諸外国の国内事情や文化などにも触れることが多かったとか。

そして、明治21年(1888)に東京の下谷西黒門町(現在の台東区上野)にて、日本で最初の本格的なコーヒーを出す喫茶店『可否茶館(かーひーちゃかん)』を開業したことで知られています。(店名の読み方や、日本初かどうかは諸説あり)

店内にはビリヤードやトランプなどがあり、国内外の書籍や新聞も置き、化粧室やシャワー室なども備えられ、2階ではコーヒー、パン、カステラなどを提供していました。ただの喫茶店ではなく「コーヒーを飲みながら知識を吸収し文化交流をする場」がコンセプトだったそう。

まるで、現代の多様化したカフェのよう。新しい発想ですよね。

新しい文化や知識に触れられるということで、学生の間で人気がでたようですが、コーヒーを飲んだりお菓子を食べたりしてお金を遣ってくれるお客は少なく、収益は上がらなかった様子。残念ながら「可否茶館」は4年で閉館してしまいました。

その後、鄭永慶は起死回生を図るも失敗。日本を去りアメリカのシアトルにて、明治27年(1894)に37歳という若さで亡くなっています。

3ページ目 鄭永慶が大関和に教えたフレンチトーストとコーヒー

 

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