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実は“カネの亡者”だった戦国武将・明智光秀──人望を金銭で補おうとした資金調達係の末路

実は“カネの亡者”だった戦国武将・明智光秀──人望を金銭で補おうとした資金調達係の末路:2ページ目

神仏も怖くない

ちなみに光秀の名誉のために付け加えておくと、延暦寺焼き討ちについては『信長公記』でも「雲霞の如く焼き払った」と記されていますが、地質調査では大規模な焼失の痕跡は見つかっていません。

実際には、光秀軍は大量の薪を燃やして煙を発生させ、恐怖を煽るような心理戦を行った可能性が高いと考えられています。

比叡山は正面から攻撃を受けた経験がほとんどなく、煙に包まれた光景だけでパニックに陥り、早期に降伏したと推測されます。

戦が長引けば経費がかさむため、これは光秀にとっては理想的な展開でした。

しかしその後、彼の本性は剥き出しになります。光秀は延暦寺以外の寺領を徹底的に没収し、財産を私物化しました。

彼が延暦寺に優しかったのは信長の名声を守るためであり、光秀自身は神も仏も怖くない、金だけがほしいという姿勢を貫いていたと言えるでしょう。

また、光秀が信長に恨みを抱いたとされる「金柑頭」と呼ばれたなどの逸話は江戸時代の創作で、史料的根拠はありません。

むしろ光秀が謀反を起こした理由は、信長の金欠による支払い遅延など、金銭面のトラブルだった可能性もあります。晩年の信長は常に資金難の状態でした。

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