『豊臣兄弟!』バチバチの寧々×まつ、史実では大親友だった…今後、敵対から一転する「5つの理由」:4ページ目
寧々とまつが仲良かった5つの理由
戦国に生きる寧々(北政所)とまつ(芳春院)は“仲が良かった”といっても、現代感覚での「女性同士の仲の良さ」ではないような感じがします。
史実をベースに、「仲の良さ」の理由を5つ推測してみました。
1.身分と環境が近かった
寧々は、もとは尾張の土豪層(杉原家)出身で、いわゆる“武家の名門”の出ではありません。そして、秀吉を“下積み時代”から知っています。まつも超名門というより、織田家家臣の妻。夫の出世を横で見続けてきました。
二人とも生まれながらのお姫様ではありません。そんな親近感と、夫の苦労・不安などを身近にずっと見て感じ取ってきたところに、互いに親近感を覚えたのではないでしょうか。
2.「夫」が成り上がりだった
秀吉は、百姓出身から天下人へと駆け上がった人、利家も槍一本で評価を勝ち取っていく武将でした。どちらも家柄よりも、本人の実力・運をフルにいかしてきました。
けれども、すぐそばでそれをつぶさに見守っている妻としては、夫が調子に乗ると危ない・失脚したら一気に転落する危険性・明日がどうなるか不安定、そんな不安を内に抱え込んでいたのかも。
「大変よね」……という思いが、言葉に出さなくても通じる関係だったような気がします。
3.性格が似ていて共感できる部分があった
史料から伺える二人の性格としては、寧々は、露骨に感情を表に出し過ぎない、人前や表立って秀吉の失態を責めない、政務・人事にも理解が深い感じです。
まつは、利家を立て、加賀藩の家中統制にも積極的に関与、後年は芳春院として政治的影響力も持っていました。
細かい部分は異なりますが、どちらとも「私が私が!と前に出るより、夫を勝たせる」タイプのよう。
それゆえ、お互いに共感し合う関係になりやすかったのではないでしょうか。
4.織田から豊臣への時代を生き残った
信長亡き後、清須会議、賤ヶ岳、小牧・長久手、秀吉政権の確立という変化の激しい時代を、夫婦という単位で生き残った二組。
寧々は「天下人の妻」ですし、まつは「その政権に従う有力大名の妻」。
立場こそ違えども、どちらも“政権は不安定なもの”ということを肌身で感じていたのではないでしょうか。
表では立場が違っても、そんな本音を話せる数少ない相手だったのかもしれません。
5.寧々にとって「安全な友人」だった
寧々は天下人の正室になってから、側室問題・権力闘争などいろいろな問題を背負うことになり、純粋な友人を持ちにくい立場になったでしょう。
夫の利家は秀吉に忠実で変な野心がないため、妻のまつは安心して付き合える人だったのではないでしょうか。
最後に
ドラマでの「さる&寧々」「いぬっころ&まつ」のバチバチバトルは、ドラマなりの脚本でしょう。
けれども、この先「カッとなりやすい直情型の利家」「お調子もので口からでまかせをいう秀吉」という、ある意味「妻がブレーキをかけないと危ない夫」を抱えていることが、共通している二人。
初回、感情をむき出しにしての煽り合いは、新鮮な寧々とまつ像でした。こんな感じから、この後「お互いに大変よね」というところで連帯感のようなものが生まれていくといいなと。
史実を見るかぎり、まつと寧々は年齢も近く「女子同士気が合った」……というより、同じ時代の荒波を似た立場で耐え抜いた、“戦友”に近い関係だったと思います。
これからそんな二人をドラマではどのような感じで描くのか。“妻”の成長も見どころだと思います。
参考:
「北政所 秀吉歿後の波瀾の半生」津田三郎著
前田利家と妻まつ―「加賀百万石」を築いた二人三脚 中島 道子著
