朝ドラ「ばけばけ」事件に巻き込まれ逮捕、台湾へ…庄田多吉(濱正悟)のモデル・本庄太一郎の生涯:2ページ目
戦う教育者!疑獄での逮捕と台湾での活動
明治後期、教科書は検定を通過したものを府県が採用する仕組みでした。
当然、採用に関して教科書側と採用側では利害関係が発生。贈収賄事件が発生しやすくなります。
政府は贈収賄の一斉摘発を開始。世にいう教科書疑獄事件です。
この事件を皮切りに「国定教科書制度」への空気を一気に強め、政府は1903(明治36)年4月に制度改正へ踏み切ります。
この事件に絡み、警察は太一郎を逮捕。しかし翌明治36(1903)年9月には嫌疑が晴れて無罪となりました。
無罪とはなったものの、逮捕された影響がどれほどだったのか…太一郎の心境は推して知るものがあります。
明治39(1906)年、太一郎は欧州視察へ旅立ちます。
翌明治40(1907)年5月、太一郎は台湾総督府の中学校兼国語校長に就任。人事の背景には、台湾統治を担う後藤新平との関係がありました。
太一郎は後藤の下で欧州視察や情報収集に従事していたようです。台湾において統治の教育部門を動かす立場として活動しました。
しかし太一郎は体調を崩したようで、台湾での勤務は長く続きませんでした。
明治44(1911)年5月、太一郎は病気を理由とする退職願を提出。役職を免官となって日本に帰国しました。
しかし病気の詳細は記録に残っておらず、心情的な理由での退職も推測されています。
3ページ目 幾多の軋轢を乗り越えて…国内の教育現場での再出発
