大久保利通 暗殺事件の犯人が残した「斬奸状」の五つの罪状、実は100%誤解と間違いだった:3ページ目
西郷の死がもたらした影響
大久保利通は確かに強引な手法を取ることもありましたが、彼が目指していたのは専制国家ではありませんでした。
むしろ、大久保はイギリス型の立憲君主政と産業国家を理想としていたのです。
イギリスは、島国ながらも工業力で世界の大国になっていました。大久保は、この日本にも同じような道を歩ませたかったのです。
大久保は一八六八年から三〇年間の国家計画を立てていました。「創業期」「内治整理・殖産興業期」「守成期」の三段階に分け、段階的に近代国家を築こうとしたのです。
これは、急いで結果を出すのではなく、しっかりと基礎を作ってから発展させるという、長い目で国を見据えた計画でした。
ではなぜ、ここまでやってきた大久保の評価が決定的に悪くなってしまったのでしょうか。その大きなきっかけとなったのは、西郷隆盛の死です。
士族たちに人気のあった西郷が西南戦争で敗れて亡くなったことで、大久保は維新の賊臣と呼ばれるようになりました。
人々は、武士の理想像である西郷と、現実的な政治家である大久保を比較して後者を悪者にしたのです。
結局のところ、斬奸状に書かれた五つの罪は、大久保利通が推進した近代化政策の「裏返し」にすぎなかったのです。
大久保利通は本当に悪徳政治家なのか?実は清廉な人柄だったことを示す数々の証拠がこちら
とっつきにくい男薩摩藩出身の大久保利通(おおくぼ・としみち)は、明治初期の新政府で最も権力のある人物だったとよく言われます(実際には公家出身の三条実美や岩倉具視の方が地位は上でしたが)。※…
明治時代、数々の政敵を葬り去った冷血漢・大久保利通の意外な一面「すべてはこのひとときのため」
幕末維新の元勲として新政府において強権を奮い、江藤新平(えとう しんぺい)や前原一誠(まえはら いっせい)、そして西郷隆盛(さいごう たかもり)と言った政敵・不平士族たちを次々と葬り去った大久保利通(…
参考資料:
浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia


