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庶民の味方“遠山の金さん”は悪名高き「天保の改革」執行者!幕府衰退の遠因となった悪政の実態

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治安の悪化と物価高騰

さらに人返しの法は、江戸に出稼ぎに来ていた農民を強制的に故郷へ帰すものでした。

しかし、そもそも彼らは貧困ゆえに江戸へ出稼ぎに来ていたのであり、彼を帰農させても何の意味もありませんし、帰農は不可能だったのです。

結果、江戸周辺には無宿人や浪人・博徒が増え、治安が悪化しました。幕府は関八州取締役を増員して対応しようとしましたが、追いつきませんでした。

株仲間の解散も大きな失敗です。水野忠邦は、物価高騰の原因を株仲間による流通の独占だと考えて株仲間を解散させ、新興商人の自由取引を認めました。

しかし、実際の物資不足の主因は別でした。長州藩の越荷方のように、諸藩が産地から大坂へ届く前に商品を買い占め、独自の流通網を作っていたのです。

株仲間を解散しても、この流れは止まりませんでした。むしろ流通が混乱し、物価はさらに上がりました。

統治能力の限界

そしてこの改革の裏では、西国諸藩の台頭が目立ってきていました。

薩摩藩・長州藩・肥前藩などは、特産品の専売や産地直取引を進め、財政を強化していきます。

一方、幕府の商業政策は失敗を重ね、経済的な主導権を失っていきました。

この構図は、天保期からすでにでき上がっていました。幕府の衰退と諸藩の成長は、明治維新の土台を築いていたのです。

天保の改革は、短期的には失敗です。庶民の生活を圧迫し、政策も的外れで、幕府の威信を損ないました。

しかし、その過程で幕府の統治能力の限界がはっきりしました。諸藩の経済力が伸び、幕府が追いつけなくなった現実が浮き彫りになったのです。

水野忠邦の改革は、結果として幕末の政治構造を変える伏線となりました。失敗した改革が、実は明治維新への地ならしへとつながっていったと言えるでしょう。

参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia

 

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