『べらぼう』総集編、1年間の“夢噺”をありがた山!高い志と行動力で出版界の風雲児へ【蔦屋重三郎・前編】:3ページ目
源内の教えは生涯心の中に生かし続けた
「書を持って世を耕し、この日の本をもっとよい国にする」だから『耕書堂』という名前を源内にもらった蔦重。その源内が何者かにはめられて投獄され獄死した時。
遺体を見た者がいないことから、仮の墓である土まんじゅうに手を合わせながらも、
「俺は源内先生が死んだことは信じねえ。わかんねえなら楽しいことを考えるそれが俺の流儀なんで」
と。子供の頃、花魁だった朝顔(愛希れいか)に教わった流儀を、ずっと大切にしていましたね。
何かと相談に乗ってくれた日本橋の大手本屋・須原屋市兵衛(里見浩太朗)は「じゃあ、俺は源内先生を生き延びさせるぜ。源内の本を出し続ける。本があれば、ずっと俺が死んでも源内の心を生かし続けることができるだろ。」と言います。
蔦重が、この先、“書”で仇打ちをしたり、“書”でお上に抗ったりしたのも、この言葉が胸にあったからでしょう。
この流儀は、生涯に渡り蔦重の中に鮮明に息づいていましたね。「源内先生は生きている」という思いを消さなかったおかげで、妻てい(橋本愛)と地獄に突き落とされた時も、這い上がることができました。
「わかんねぇなら楽しいことを考える」という流儀がもたらす“救い”。現代人にも身近に感じられる流儀ではないでしょうか。
後編に続きます。
