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『べらぼう』の感動ふたたび!総集編の前に“エンタメの神々”の胸に刺さった名場面をもう一度【チーム蔦重編】

『べらぼう』の感動ふたたび!総集編の前に“エンタメの神々”の胸に刺さった名場面をもう一度【チーム蔦重編】:5ページ目

名セリフ「そう来たか!」の産みの親・太田南畝

20話「寝惚けて候」で登場した狂歌師・太田南畝(桐谷健太)は、終始、ポジティブな明るさで支えてくれた人でした。

ボロ家に住んでいて、蔦重に「障子が破れておりますが」と言われても、
「穴の向こうに富士が見える。あなあなあな穴あなめでたし」と答えるほど。

明るい南畝に触発され仲間の狂歌会に呼ばれた蔦重は、一見ふざけているようで、実は文学の素養がないと詠めない狂歌の奥深さに「狂歌は流行るぞ、俺が流行らせるぞ!」と魅せられました。

そんな南畝は、蔦重が、老舗の本屋とまだ経験の浅い自分との力量差を知って落ち込んでいたとき「けれど、そこが良いところだ。老舗の本屋が出せないものを出せるじゃないか」と言います。

「『細見』が煎餅みたいになったときゃあ、“そう来たか”って驚いたよ」といいます。(吉原細見を薄くして持ち歩きしやすいように刷新したこと)

「お前さんには、“そう来たか”と思わせるのがお似合い」と、キャリアがない分、斬新なアイデアや行動力を持っていることを褒めます。

きれいごとを並べて慰めるよりも、いっぺんに蔦重をエネルギーチャージさせてしまう南畝。さすが人気狂歌師、短い言葉でも人の心に刺さる名セリフがさっと出てくるものだなと感心した場面でした。

ヒット本の量産を担った凄腕の刷り師・彫り師たち

そして、忘れてはならないのが、チーム蔦重の「神々」の作品を量産する、プロの彫師・摺師。彼らがいなければ、どんなに素晴らしい絵も文章も1枚だけで終わり。

文章や絵を板に繊細に刻む「彫師」と紙に擦り色を再現する「摺師」がいて初めて、市中の人々は作品を手に刷ることができたのでした。

「べらぼう」は、“本”や“絵”は、プロデューサー・クリエーター・彫師・摺師がいてできる作品だということを教えてくれました。

第7回「好機到来『籬(まがき)の花』」で登場した、腕利の彫師・四五六(肥後克広)。

最初は、蔦重の無理な依頼に「そんな割の悪い仕事受けられっか!べらぼうめ」と怒り、帰れと追い出そうとするのですが「吉原の大宴会付きで」と蔦重がつぶやいた途端、商談成立したシーンは面白過ぎて印象に残ってます。

第17話「乱れ咲き往来の桜」で、蔦重は四五六親方に安定した生活が営めるように年俸制を持ち掛けました。

蔦重から依頼された「往来物」の文字が綺麗に出て長持ちするようにと“固い桜の木”を使って作ってくれた親方。仕事が大変だったのでしょう。火鉢で指先を温めてほぐしています。

「版木、桜のいいもんにしてくれたんですね。固くててぇへんだったでしょう」
「恩に着ろよ、往来物は字が綺麗に出て、長持ちしねぇといけないからなぁ」

彫師の大変さをリスペクトしている蔦重と、それをわかってくれていることが嬉しい彫師の会話。

また、蔦重の無理な注文を実現していた摺師(田中光)は、歌麿の大首絵を雲母摺にして役者の絵が浮かび上がるようにするという無理難題を実現。紙に擦りあげるときの色彩の大切さが学べました。さらに、重政が連れてきた摺師・七兵衛を演じたのは、この道73年の本物の摺師の松崎啓三さんで、堂に行ったお芝居が評判になりました。

“本”は「神々」の総力の賜物。

蔦重の「多くの人から受けた恩と恵みを世の中に返す。そのためには耕書堂を日本一の本屋にするしか道がねえんでさ」と言うセリフには、「恩が恩を呼ぶ話がいい」という瀬川(小芝風花)の思い、「書を持って世を耕す」という平賀源内(安田 顕)の思いもしっかりと息づいているのを感じました。

 

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