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『べらぼう』の感動ふたたび!総集編の前に“エンタメの神々”の胸に刺さった名場面をもう一度【チーム蔦重編】

『べらぼう』の感動ふたたび!総集編の前に“エンタメの神々”の胸に刺さった名場面をもう一度【チーム蔦重編】:2ページ目

遊びを目一杯楽しんだ粋人「平沢常富(朋誠堂喜三二)」

平沢常富こと、朋誠堂喜三二(尾美としのり)は、秋田佐竹家の留守居役で仕事ができるインテリ。藩の外交担当も行っていたため、吉原のような遊廓文化にも詳しかったそうです。

戯作・俳句・画家・浮世絵などを手掛けるマルチクリエーターで、自他共に認める「宝暦の色男」!遊び人ぽい派手な柄の着物やマフラー(手拭い?)のアレンジもオシャレでしたね。

喜三二といえば、吉原の祭り「俄祭り」を絵本にした『明月余情』の序文が感動的でした。

勝川春章(前野朋哉)が絵を描き、時間がないので墨擦りで仕上げた冊子ながら、人々の表情や仕草が細かく描かれ、現代の私たちの目から見ても面白い本でした。

喜三二の序文は「鳥が啼く 東の華街に…」で始まり、

我と人との譲りなく。
イ(人・ひと)と我とのせ隔(へだて)なく
俄(にわか)の文字が調いはべり

で締められています。人も自分もなんの隔たりもない。人と我という字を合わせれば「俄」。これぞ俄祭り……の一文が、素晴らしかったですね。

「四民の外」と差別されている吉原の人間も、見物に来ている人々もなんらそこに変わりはない同じ人間。そんな思いも込められていたと思います。

「売れる売れないはどうでもいい、楽しくやれりゃ!」という考えだった喜三二。本作りも楽しみながらやっていました。それは、幼馴染の遊女・朝顔(愛希れいか)に教わって以来、大切にしている蔦重のポリシー「分からないなら楽しいほうを考える」とぴったりでしたね。

病に倒れた蔦重が、最後の仕事として喜三二に依頼したのは自分が書く黄表紙本の手伝い。草稿を読み呆れたように「あんだけ戯作出しても上手くなんないやつがいるんだな〜」と容赦無く「全部書き直し!」と命じるのがおかしかったですね。

「蔦重、ちゃんと書けるまで、もっと生きろ!」と鼓舞するために、書き直しを命じていたのだと思いました。

3ページ目 一番“陽キャ”!実はこだわり迷い悩み抜く北尾政演

 

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