幕末の人斬り・岡田以蔵のイメージに潜む多くの誤解——創作が歪めた史実とのギャップを解説【前編】:2ページ目
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誤解の始まり
そこで岡田以蔵の家柄ですが、小説などでは足軽の家に生まれた貧しい青年として描かれることが多いですが、これは誤りです。
彼の父は一八四〇年代に外国船の来航に備えるための海岸防備の役目を務め、その後、城下での居住を許されています。
これは、郷士の中でも比較的順調に出世した家柄であったことを示しています。
以蔵自身は、土佐勤王党を率いた武市半平太の道場で剣術を学びましたが、師である武市もまた、白札制度によって郷士から上士になった人物です。
さて一八六二年、以蔵は参勤交代の行列に加わる武士として選ばれ、京都へ上ります。ここから、いわゆる「人斬り以蔵」の物語が始まりました。
しかしこの、「人斬り以蔵」というイメージも実像とはかなり異なっています。
彼が尊王攘夷派の過激な活動である「天誅」に関わったことは事実です。実際、京都町奉行所の役人襲撃や、幕府のスパイと見なされた人物の殺害に関与したとされています。
ですが、田中新兵衛らと並んで幕末四大人斬りと呼ばれるのは、後世の創作物の中で生まれた呼称であり、当時の史料にそのような言葉は見当たりません。
「剣の腕だけが取り柄で、無差別に暗殺を繰り返した怪物」というイメージは、真山青果の戯曲や、先ほども名前が出た司馬遼太郎の小説によって作られたフィクションです。
【後編】ではさらに、岡田以蔵というキャラクターにまつわる複数のイメージとその誤解について解きほぐしていきましょう。
【後編】の記事はこちら↓
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参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia
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