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【べらぼう】写楽の絵で後世に…強烈なインパクトを残した“グニャ富”こと中山富三郎(坂口涼太郎)は何者?

【べらぼう】写楽の絵で後世に…強烈なインパクトを残した“グニャ富”こと中山富三郎(坂口涼太郎)は何者?:2ページ目

あだ名の「グニャ富」とは身のこなしが柔らかかったからとも、あるいは顔がグニャついていたからとも言われます。

確かに写楽の大首絵「初代中山富三郎のさざなみ辰五郎女房おひで」や「中山富三郎の宮城野」を見ると、顔のグニャつきが表現されているような気がしなくもありません。

ともあれ富三郎の名声は日増しに高まり、文化年間(1804~1818年)には絶頂となりました。

寛政5年(1793年)には息子・市川三太郎(後の二代目中山富三郎)が生まれ、蔦重が亡くなる寛政9年(1797年)にはその初舞台を見守ります。

そして文政2年(1819年)9月10日に60歳で死去。4年後の文政6年(1823年)に二代目中山富三郎が襲名され、その芸統が受け継がれたのでした。

終わりに

今回は写楽の大首絵で有名なグニャ富こと中山富三郎の生涯について、駆け足でたどってきました。

女性らしい柔らかな身のこなしを追求した結果があだ名の由来だとしたら、よほど心血を注いだことだろうと偲ばれます。

果たして実在の富三郎は、自分の容姿があからさまに強調された写楽の絵を見て、どう感じていたのでしょうか。

大河べらぼうもラスト2回ですが、果たして彼(彼女?)の再登場はあるのか、楽しみにしています。

※参考文献:

  • 鈴木重三『写楽 浮世絵 美人画・役者絵 6』講談社、1966年1月
  • 楢崎宗重ら『ブック・オブ・ブックス 日本の美術24写楽』小学館、1974年1月
 

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