武田信玄の「武田」は歴史上どこから始まった?名字のルーツ──武田冠者・源義清の逆転劇:2ページ目
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義清、甲斐で静かに晩年を迎える
義清は、12世紀半ばごろに甲斐で亡くなったとされ、没年は久安元年(1145年)とする説が有力です。
晩年の居館跡と伝わる場所には、今も義清神社があり、近くには義清の墳墓とされる塚や、ゆかりの石碑・歌碑が残されています。
いとどしく 埴生の小屋の いぶせきに 千鳥鳴くなり
市河の里 流された先で、質素な住まいに身を寄せながら聞いた千鳥の声。 そこに義清の孤独や覚悟が、しんと漂ってくるようです。
義清は“逆境を力に変えた”源氏のキーマン
ざっくり言えば、義清の人生は、
- 名門の家に生まれる
- 領地争いというトラブル発生
- まさかの配流で地方移住
- しかしそこで勢力基盤づくりに成功
- 武田氏など多くの名家につながる土台を作る
という流れでたどれます。武田信玄に比べれば影は薄いかもしれませんが、甲斐源氏と武田氏の歴史を大きく動かした“はじまりの人”であることは間違いありません。
「逆境に置かれても、そこから大きく伸びていける」──義清の生き方は、そんなメッセージをそっと伝えてくれているようです。
参考文献
- 山梨県立博物館編『甲斐源氏 列島を駆ける武士団』(2010年 山梨県立博物館)
- 野口実『中世東国武士団の研究』(1994年 高科書店)
- 柴辻俊六『甲斐武田一族』(2005年 新人物往来社)
トップ画像:武田信玄 (歌川国芳 画)
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