徳川幕府、威信失墜の始まり「天保の改革」――水野忠邦の失策と薩摩・長州の成功を比較:3ページ目
改革に成功した諸藩
現在では、「天保の改革」は水野忠邦がおこなった改革だけではなく、諸藩の改革も含めた大きな改革として説明されています。そうした諸藩の代表格が、薩摩藩です。
薩摩藩は、下級武士から登用された調所広郷が中心となって改革を進めました。
調所の改革の内容は徹底的な緊縮財政・借金の事実上の棚上げ・奄美大島の黒砂糖の専売、そして琉球王国との密貿易などなかなか急進的なものでした。
また長州藩では、薩摩と同様に村田清風がやはり藩の多額の借金を整理し、紙や蠟の専売を行います。さらに萩焼などの陶磁器の販売独占などによって利益を上げました。
薩摩・長州だけではなく、肥前や土佐、宇和島藩や越前藩でも改革が進みます。
各藩に共通した改革の方法は、借財の返済や特産品の専売、そして商人との結びつきを進めるというものでした。これに成功した藩が、後に幕末・明治の政局で発言力を持つようになったのです。
このように天保の改革については、それに失敗した幕府と、成功した諸藩、という対照的な形で説明するのが現在のスタンダードです。
参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
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