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徳川幕府、威信失墜の始まり「天保の改革」――水野忠邦の失策と薩摩・長州の成功を比較

徳川幕府、威信失墜の始まり「天保の改革」――水野忠邦の失策と薩摩・長州の成功を比較:2ページ目

「幕末思想」の萌芽

この時期は海外情勢の動乱期でした。アヘン戦争が勃発したのです。

日本の外国船打払令が、列強の侵攻を誘発する口実となることをおそれた幕府は、打ち払いを緩和。新たに薪水給与令を発令しました。

また水野忠邦は、江戸・大坂周辺を直轄地とする上知令を出し、幕府の財政の強化を図ろうとしました。しかし周辺の大名・旗本の強い反発にあって実現できず失脚します。

これらの失敗は、さらなる幕府権力の衰退を世に知らしめる結果となりました。そこで世の中では、二つの考え方が生じてきます。

一つは、幕府の権力・権威の強化回復を図ろうとするもの。そしてもう一つが、幕府に代わる新しい権威として天皇と朝廷を押し立てようとするものです。

こうした思想が母体となって、幕末期には佐幕側・新政府側の勢力へとつながっていったのです。

3ページ目 改革に成功した諸藩

 

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