朝ドラ「ばけばけ」“ヲトキさん”と実際に結婚!?松江中の生徒 小谷春夫のモデル、藤崎八三郎の生涯:3ページ目
続いていた八雲との交流と晩年
立場と環境が違いながらも、八雲との交流は続いていました。
明治30(1897)年夏、八三郎は八雲とともに富士山に登山。のちの八雲作品(『東の国から』/「富士の山」等)に結びつく重要な外遊でした。
八雲との同行は展覧会図録や研究論文にも記載。同行者名に藤崎(旧姓小豆沢)と明記されることが多く、師弟の結びつきを示していました。
しかし密接な師弟の時間は、やがて終わりを迎えます。
明治37(1904)年2月、八三郎は日露戦争に際して満州に出征。同年の9月26日に、師である小泉八雲が病没しています。
死の間際に八雲は八三郎からの頼りに返書を認めていたと伝わります。これが絶筆となり、現存する手紙は小泉八雲記念館に収蔵されています。
八雲の生涯の幕引きに、松江の教え子であった藤崎の名が刻まれている事実は、二人の往還の深さを雄弁に物語ります。
その後も、八三郎は軍人としての道を歩みつつ、回想記「小泉八雲先生の追憶」を寄せるなどしていました。
やがて八三郎の軍人としての人生にも、終わりが訪れます。
昭和20(1945)年8月、日本は終戦。陸軍大佐であった八三郎も生きて日本に帰国していました。
終戦から数年後の昭和26(1951)年、八三郎はこの世を去ったと伝わります。享年76。
商人の子として生まれ、学識豊かな将来を夢見みて、小泉八雲の教え子として歩み、軍人としての生き方を貫いた生涯でした。
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